ひきゴヤブログ

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アップデートしろと言われるのはつらい

 

 

最近色んなところから「アップデート」と言う単語が聞こえてきますね。

最初は一部で使われている単語だと自分は思っていたんですが、いつの間にやら色んなメディアで多用されるようになり(最初からされてた?)テレビCMなんかでも「アップデート」とか言っているのを見たことがあります。

おそらく世間の皆様がアップデートしろと言っている対象は私のような昭和生まれの老害のオッサンなんでしょうけど、何かの記事を見ても「オッサンはアップデートしよう!」ネットを見ても「オッサンはアップデートしろ!」の大合唱。確かにアップデートして新しい価値観を身につけることはポリコレ的には正しいことなんでしょうが、こうも言われ続けると、正しいことだとしても少々うんざりします。

いくらアップデートしろと言われようが、こちとら昭和の価値観で凝り固まった老害なんじゃ!令和の若造に何を言われたところでビクともせんわガハハ!!ハラスメント上等いつでも来いや!!

冗談です

私は昭和生まれの人間ですが、何の権力も持たない一介の非正規労働者なのでどちらかと言うと数々のハラスメントを受ける側です。だから当然パワハラもセクハラも御免被りたいです。そんな訳なのでハラスメント三昧の昭和の老害どもは大人しく頭を垂れて跪き自分の価値観の矯正に尽力しろ!

もちろんこれも冗談です。

こんなこと本気で言ったらハラスメントになっちゃいますからね。

 

まあ冗談はともかくとして権力者ではないものの私も昭和の老害の一人ではありますので、このアップデートしろの大合唱には正直辟易としております。

何せ世間が老害だの差別だのセクハラだの糾弾しているギャグやマンガや文化、習わしなどは昭和生まれの自分たちにとっては子どもの頃から慣れ親しんだ当たり前の文化であるわけです。つまりは今の若い人たちが子どもの頃から触れている令和のポリコレ的価値観が当たり前であるように、昭和生まれ(と言っても60年以上あるので幅は広いですが)には生まれてきた頃から触れている昭和の価値眼が当たり前なわけです。

最近の若い人たちはそりゃいいですよ。子どもの頃から当たり前の物としてきた価値観がつまりは昭和のオッサンが目指すべきアップデートされた価値観な訳ですから。そんな価値観に若い頃から接しているわけですから、そもそもアップデートする必要がありません。すんなり受け入れられるのも当然です。しかしオッサンの場合は新しい価値観を受け入れアップデートすると言うことは子どもの頃から慣れ親しんだ価値観を全否定することにつながります。仮に新しい価値観でもそれが心の底から正しいと思えるなら、それほど苦も無くアップデートできるかも知れませんが、もし古い価値観を今でも心の底では正しいと思っている場合はやはりアップデートするというのは大変つらい作業であるはずです。

でも世間はそんなことを考慮せず簡単にアップデートしろと宣います。そしてアップデートしたところで本人にとって大したメリットはありません(例えば嫌いな物を無理にアップデートして受け入れても実際には嫌いなわけだから、それを隠して迎合しなければならない。それはおそらく苦痛でしょう)。

 

 

個人的には新しい価値観が浸透した方が誰もが生きやすい世の中にはなると思うのでそのこと自体は否定はしませんが、それでもなかなか心の底から納得できるわけでは無い価値観があることもまた事実。そんな訳なので毎日のようにアップデートしろと騒がれると何だかうんざりするわけです。

まあそんなことを少しでも言おう物なら差別者扱いされるのが今のご時世。今は些細な疑問を口にしただけで糾弾される世の中です。やはり結局社会で生きていくためには納得できなくてもアップデートしていくしか無いのかも知れません。しかしそうなるとやはり全ては労働が悪いの一言に尽きますね。労働しないで家に引きこもっていればアップデートしなくても誰からも何も文句は言われませんからね。

全ては労働が悪い!(違う)