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親にとっては子どもがガチャみたいなもの

 

前に親ガチャとか言う言葉が話題に上ったことがありましたね。確かに子どもにとって親がどんな人間であるかという事はとても大事なことであると思います。

そもそも子どもは自分の意思で生まれてくるわけではありません。親の勝手な都合でこの世に産み落とされた存在です。にも関わらず親がどういった人間であるかに子どもの人生は大きく左右されることになります。親がとても良い親であった場合人生がイージーモードになることもあるでしょうが、その逆だった場合目も当てられない大惨事になる可能性もあるわけです。もちろん本人の資質もあるので全てが親のせいと言うわけではありませんけど。

いずれにせよ親の出来如何により子どもの人生が左右されるのは多少なりとも確実なことではあるでしょうから「親ガチャ」と言う言葉にも説得力はあります。まあ納得です。

 

 

親にとっては子どもがガチャ

 

しかしながら確かに親というのは子どもにとってガチャではあると思いますが、親にとっても「子どもはガチャである」と言うことは確実に言えると思います。正直親にとってもどんな子どもが生まれるのかは実際にやってみないと分からないものです。全く何の才能も無い平凡な夫婦から今世紀最大の神童と呼ばれる超天才児が誕生することもあるでしょうし、逆に才能豊かな二人の夫婦からどうしようも無い殺人鬼のクズが生まれることもあるかも知れません。そう考えると生まれてくる子どもというのもガチャ以外の何者でもありません。

 

もちろん子どもは自分の意思で生まれるわけでは無く親のしたことの結果によって生まれる訳なので全く同じとは言えません。しかし普通親が子どもを作ろうと考える場合、悲観的な考えを持って作るわけでは無くやはり将来に何か希望を持っているから作ろうとするはずです(もちろん性欲に任せてうっかり出来ちゃったと言うことも多々あるでしょうが)。にも関わらず出来ちゃった子どもが自分たちの想像の及ばないどうしようもない規格外のクズだったりしたら…そう考えるとやはり親にとっての子どももガチャであるなと思うわけです。

 

 

教育の問題だからガチャじゃ無いのか?

 

こういったことを書くと「いや。子どもがどんな大人に育つのかは親の責任だ。親がちゃんと教育してさえいればまともな大人に育つはずだ」と反論したくなる方もいるかと思います。私も昔はそんなことを思っている時期がありました。ろくでもない人間のニュースなどを見るたびに「全ては親が悪い。親がちゃんと教育しないからだ」と思ったりもしてました。しかし現実はそう簡単ではありません。その証拠に私の親はちゃんとした人間でしたが当の私自身はろくでもないクズに育ってしまいました。あれだけちゃんと育てて貰ったのに今では結婚もせず、労働意欲も社会に貢献する気も全くなく毎日ただ「働きたくない」と宣うどうしようも無いクズのできあがりです。この事からも親がちゃんと教育していれば何とかなると言ったような単純な話では無いよう思われますね。

 

親がどんなに一生懸命教育しても低学歴にしかなれない人は低学歴にしかなれませんし、どんなに一生懸命にまともな生き方について語ってもチンピラになる奴はチンピラになるし、どんなに一生懸命労働の尊さに語ってもニートになる奴はニートになるし、どんなに一生懸命正義について教えても犯罪者になる奴は犯罪者になります。逆にそれほど子どもに関与せずのびのび育てただけにもかかわらず立派な人間になる場合もあるでしょうし、放置しすぎたせいで犯罪者になることもあるでしょう。結局どんな人間に育つかはやってみないと分からないし、そう言った意味では子どももガチャであると間違いなく断言できる。

 

しかし、にも関わらず子どもが何かをすると世間は親が悪いと大騒ぎする。そう言った意味で今子どもがいる方達はそう言ったリスクを乗り越えて子どもを持っているわけですから素直に凄いと尊敬できます。逆に私は子どものやることに責任を持つことは到底無理なので、とても子どもを作ろうとは思えないなと思ってしまいますね。まあ作ろうにも相手が居ないんですが。