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無能は死ぬまで働く羽目になる

 

 

無能は大変哀れな存在です。

 

前にも書きましたが、無能はその無能さ故に社会から邪魔にされ、弾かれ、大変に居心地の悪い思いをします。しかしながらそれは当然のことで、無能は実際周りに迷惑をかけているのだから仕方がありません。その結果は甘んじて受け入れるべきです。

しかし無能が哀れなのは、労働から全く必要とされていないにも関わらず、その労働から抜け出すことが死ぬまで許され無いという点にあるかと思います。

 

当然のことながら無能はお金を稼げません。

と言うか無能なのにも関わらず、お金を稼げたらそれはおかしな話で、お金を稼げる無能は無能ではありません。例え仕事で役立たずでも、お金を稼ぐ才能があるならそれは有能です。しかし普通の無能の場合、親が富裕層だとか宝くじにでも当たらない限り、大きな資産を築くことは難しいでしょう。当たり前です。お金を稼ぐ能力が無いわけですからね。

 

しかし問題なのは労働市場から抜け出すためには、その稼げないお金が多大に必要になるという点にあります。

お金は普通の人間の場合労働しなければ稼げません。

しかし無能はその労働の能力が他人に比べて著しく低い訳です。

従って無能がお金を貯めるためには、労働に向いていないにも関わらず、必死に働かなければなりません。しかし哀れなことに無能はいくら必死になったところで、大したお金を稼げませんので、結局雀の涙程度の給料しか貰うことができませんよね。それはつまりいくら働いたところでリタイアできるほどのお金はなかなか貯められないと言うことです。

と言うかはっきり言ってしまえば何かうまいことでも起きない限り無能は一生働き続ける羽目になるでしょう。

何という哀れな現実!無能で労働から必要とされていないにも関わらず、どうあってもその労働から抜け出すことが出来無いなんてあまりにも悲惨すぎませんか?

まさにこれは歴史上に残る最大級の悲劇と言っても過言では無いでしょう。この悲しき真実はノーベル賞を授与されるに値する大発見だと言っても差し支えありませんね!

まあ誰でも知ってますけどね。

 

 

冗談はさておき無能は自分の苦手な労働から降りることを死ぬまで許されないと言う点においては大変不幸な生き物だとは思います。

なにせ有能で多額のお金を稼げる方々なら自分で労働の仕方を選ぶことが出来ますからね。

有能な人なら無能が何十年をかけて稼ぐお金をぱっと稼げるでしょうから、もし働くのが嫌になった場合「少し働くのを辞めて休もう」と言うのも簡単にできますし、働くのを再開したくなったら、有能なので引く手余多。それこそ「是非うちで働いてください」という会社がごまんとあるでしょうし、有能ですからそもそも自分で何かやればいいわけで会社で働く必要も無いかも知れません。

有能な人は休もうと思えばいくらでも休めるのに、無能はいくら働いても休むことが許されないなんて、何故神様はこのような非道なことをお許しなさるのでしょうか?本当に神は死んだのか!?

まあ有能な人は無能が何十年をかけて作り出す経済的価値を一瞬にして作り出すんですから当然の話ですけどね。どうしようもないです。

 

いずれにせよ無能はその無能さ故、一生労働の苦しみに苛まれ続けるというわけです。でもそんなのは死んでも嫌なので何とかして、この地獄の輪廻から抜け出す方法を考えつきたい物ですね。

できるだけ努力を必要としない方法で。