ひきゴヤブログ

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「全ては老後のために」は虚しい

 

 

かなり前に「老後に必要な資金は2000万」といった話が話題に上がったことがありました。

 

実際老後のために貯金している人は多いことかと思います。たまにまともに働いてない人や親のすねかじって子ども部屋おじさんやってる人なんかが話題になったりしますが「老後は一体どうする気なんだ」と人ごとにも関わらず心配している(と言うかバカにしている)方々が見受けられたりします。

まあ余計なお世話とは言え、これはその人たちの言うとおりだと思います。今やこの国は沈没寸前です。気がつけば国の借金は多大な額に膨れ上がり、少子高齢化で年金も実質的には破綻しているような状態でしょう。かつての有名企業も軒並み没落し、政治もどうしようも無い。人口は減る一方ですし、物価高でも日銀は簡単に金利を上げられない状態です。あげくに国民は自分のようなクズで構成されてますし(オイ)もうどうしようも無い状態です。

念のために言っておきますが最後のは冗談です。さすがにこの国の国民が私のような者ばかりと言うことは無いでしょう。もうしそうだとしたらとっくに滅びてるでしょうからね(笑)。冗談はともかく私自身も老後のために身を粉にして働くべきだと思います。ただ理屈では分かっているんですが、老後のために今必死に頑張るという行為に非常に虚しさを感じるんですよね。

 

そもそも前にも同じようなことを書いたかも知れませんが、みんなが必死になって備えている老後という物が自分にも実際に来るのかどうかはその時になってみないと分かりません。確かに日本の平均寿命は年々長くなって行っているようですが、自分自身がいつ死ぬかは分かったもんじゃないですし、どんなに若くとも明日にでも死ぬかも知れません。そんな不確実なことのために今を犠牲にして必死に頑張る事に何の意味があるのか…そう考えると非常に虚しさを感じるわけです。

 

そもそも仮に自分が無事に老後を迎えられたとして、若い頃を犠牲にして得た悠々自適の老後に果たしてそんなに価値があるのだろうかと言うことも考えてしまいますね。

自分自身が年々衰えて行ってるから思うんですが、歳をとるとほんと気力も体力も失われていきますし、体の不調もどんどん増えていきます。人によっては難聴で耳が聞こえなくなったり、老眼で視力が衰えたりもするでしょう。そうなってはもう音楽も本も楽しむことは出来ません。老後に楽しもうと思ってレコードや本をコレクションしたりしていた場合、全ては無駄になるわけです。

 

そもそも歳をとると感性が代わる場合があるので、必ずしも今楽しめる物が老後も楽しめるとは限りません。ゲームも音楽も本も全てに置いて興味が無くなっている可能性も捨てきれません。実際自分自身今の時点で昔好きだった物でもそれほど楽しめなくなっていることが多々ありますからね。そう考えると結局今を犠牲にして老後に備えることにどれだけの意味があるのか。結局後悔することになるんじゃ無いかと考えてしまったりするわけです。

 

まあだからと言って老後のための備えを何もせず、歳をとってから風呂もトイレも無いあばら屋に住む羽目になったりしたら、それはそれで後悔することになりそうではあるんですが…。